【苔縄駅】 (兵庫県 赤穂郡 上郡町)

【円心のお手植えと伝えられるビャクシン】

 智頭線の全長は、上郡駅から智頭駅まで、約56.1kmである。そのうち半分に近い25kmがトンネル、まさにモグラ路線である。その数なんと41カ所もある。
 『長いトンネルを抜けると雪国だった』と川端康成は書いているが、智頭線の場合は『短いトンネルを抜けると、またトンネル』となり、短いトンネルが次々につづく。
 智頭駅から南下してきた各駅停車の列車が、終着駅「上郡」の一つ手前で停車するのが『苔縄駅』である。

 右側の車窓に、山頂がひときわそびえるように見えるのが愛宕山
元弘3年(1333)赤松円心が三男則祐によりもたらされた大塔宮護良親王の令旨を奉じ、勤皇の兵を挙げた苔縄城跡。この時、国中の兵一千余騎が、たちまちに円心のもとに馳せ参じたと『太平記』には記されている。
 いまも播磨太山寺(神戸市・伊川谷)に伝えられる大塔宮の令旨『今月二十五日寅の一点、軍勢を率いて、当国赤松城に馳せ参ぜしむ可し』の赤松城は苔縄城のことである。

【法雲寺の赤松円心霊廟】

 円心は六波羅軍を相手に苫戦を重ねながらも、最後は大勝をおさめ、倒幕を果たし、建武親政の樹立に大きく貢献した。また苔縄は赤松氏の発祥の地である。
 愛宕山の山麓に見えるのが、赤松氏の菩提寺『法雲寺』。建武4年(1337)円心が戦禍に散った敵味方の将兵の菩提を弔うために建立。山陽道諸山を経て、十刹に列せられた名刹である。
 智頭線からは苔縄城跡や法雲寺などの歴史的景観を一望におさめ、見晴らしは最高だろう。
 法雲寺境内の『ビャクシン』は円心の手植えを伝え、樹齢700年と推定され、法雲寺を象徴する名木である。赤松氏盛衰の歴史を見届けた歴史の生き証人である。うっそうと生え茂るビャクシンは、車窓からも目立つ存在になる。
 また、左側に見える山は、法雲寺を開いた雪村友梅が中国の景勝地から名付けたと『金華山』。いまは落石防止のモルタルで覆われ、断崖絶壁の景勝は色あせたが、法雲寺の山号に残っている。


 このページの【写真】および【近隣の紹介文】(抜粋)は、上郡町の【上郡〜智頭沿線を愛する会】(代表 有田明義氏)が、発行した冊子【ふる里の軌道】”智頭急行沿線探訪” の中から、有田氏の承諾を得て、使用させていただきました。
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