【宮本武蔵駅】 (岡山県 美作市)

【和風建築の宮本武蔵駅】

 鳥取県から南向きに走ってきた智頭線の、岡山県内最後の駅がこの【宮本武蔵駅】である。この駅は、歴史上の人物名を駅名とした珍しい駅であり、和風建築の駅周辺は楽しい一帯である。
 美作市宮本(旧大原町宮本)は『東作誌』によると、孤高の剣聖として知られる宮本武蔵誕生の地である。
 宮本武蔵は、天正12年3月、現在の岡山県美作市宮本で、父『無二斉』、母『お政』の次男として生まれた。武蔵は幼少より、剣術の達人である父無二斉の指導を受けて、武術に長けており、13歳の頃、播州平福(現在の佐用町平福)で、剣豪『有馬喜兵衛』を倒した。
 その後、諸国を巡って剣の修行を続けており、『巌流島』での【佐々木小次郎】との決闘は有名。いくたびか、大きな試練を乗り越え50歳で兵法を極め、二刀流をあみだした。
 さらに武蔵は、『五輪書・兵道鏡・独行道』などを編纂し、また、『絵画・彫刻』にも優れた才能を発揮、多くの作品を残している。正保2年(1645)、九州熊本で62年の波乱に富んだ生涯を終えた。

【少年時代の宮本武蔵像】

『美作市宮本』 【NHKの「宮本武蔵」】放映で一躍、全国的に有名になり、現在では年間約8万人の観光客がある。町では宮本の周辺整備に乗り出し、観光客の受け入れ態勢を整えている。
 特に力を入れたのが【武蔵の里研修センタ−】である。周囲は白壁の築地塀をめぐらし、表門を配した武家屋敷風の建物である。
 これは、鉄筋コンクリート二階建ての建造物であり、一階・二階合わせて、108人の宿泊能力をもつ。館内には武蔵に関する資料を展示した資料室もある。この他にも、食堂・公園・駐車場などを完備した研修センターである。
 『武蔵の里』にふさわしく、【武蔵道場】と呼ぶ立派な武道館が建てられている。中ではいまも、チビッコ剣士たちの元気なかけ声に合わせた素振りなどの稽古が行われている。
 武道館では剣道の稽古だけではなく、様々な運動も行われ、健全な精神と健全な身体が錬成されているのだろう。
 青少年の健全な育成を目指した施設であり、武蔵精神の実践でもある。

 このページの【写真】および【近隣の紹介文】(抜粋)は、上郡町の【上郡〜智頭沿線を愛する会】(代表 有田明義氏)が、発行した冊子【ふる里の軌道】”智頭急行沿線探訪” の中から、有田氏の承諾を得て、使用させていただきました。
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