【大原駅】 (岡山県 美作市)

【大原駅・車庫】

 【大原町】は山陽・山陰の中央部にあたり、江戸時代から双方をつなぐ旧因幡街道の宿場町として栄えた、交通の要衝であった。
 今も大原には大名や家来が、宿泊した本陣跡・脇本陣跡が残っており、本陣には、数寄屋造りの御殿と御成門が街道に面して、その姿を残している。
 大原町を南下する旧因幡街道は、古町と呼ばれる街道筋に沿って【なまこ壁】を配した町家が多い。昔風にいえば、造り酒屋・旅籠飯屋・居酒屋などが軒をつらね、古い家並みがつづいているが、町並み保存には、地元の熱心な努力がつづけられている。

【旧因幡街道と大原の町並み】

 また大原は、言わずと知れた剣豪【宮本武蔵】の誕生地である。
 武蔵の父平田無二斉が家老を勤めたのが、竹山城主新免伊賀守。伊賀守の命によって、無二斉が本位田外記(ほんいでん・げき)を討つことになった。
 外記は、27歳の将来有望な人物であり、その上、無二斉の門弟でもあった。その外記を討つに忍びず、主命と人情の板挟みになり、無二斉が苦しんでいたのを、外記が推察、潔く自害して、忠と義に殉じた物語りが、地元では今も語り継がれている。

 因幡街道の宿場町大原は、兵庫県佐用町平福とも共通点が多い。
 共に宿場町として、栄えてきた条件は全く同じである。その上、大原が宮本武蔵の誕生地、平福は武蔵が幼年期から少年期を過ごした土地と伝えられている。
 当然、大原・平福の双方に観光提携の話がもちあがり、県境を越えた【広域観光ルート】の計画が具体化し、大きな成果をあげている。智頭線開通に寄せる地元の期待は大きい。

 このページの【写真】および【近隣の紹介文】(抜粋)は、上郡町の【上郡〜智頭沿線を愛する会】(代表 有田明義氏)が、発行した冊子【ふる里の軌道】”智頭急行沿線探訪” の中から、有田氏の承諾を得て、使用させていただきました。
戻る